スーパーマンIII/電子の要塞
Superman Ⅲ
監督:リチャード・レスター
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:クリストファー・リーヴ :クラーク・ケント(スーパーマン)
ロバート・ヴォーン :ウェブスター (悪徳実業家)
リチャード・プライアー :ゴーマン (天才IT技術者)
アネット・オトゥール :ラナ (クラークが高校時代に惹かれた女性)
1983年 米国
1970~80年代にかけて次々と造られた、一連のクリストファー・リーヴ主演スーパーマン映画の三作目。 「スーパーマンIII/電子の要塞」です。
本作の公開は1983年。
コンピューターが広く社会に浸透する時代が、すぐそこまで来ていました。
これからの時代、コンピューターのひとつも出来なくちゃダメだよね? ^_^;
誰しもがそう考え始め、焦りを覚えていた時代。w
でも、そうは言っても、具体的なことはな~んにも判らなかったですよねぇ。(笑)
只々、コンピューターの出現によって世の中が一新するであろうってことへの期待と不安。
そして、時代の波に乗り遅れるまいって危機感ばかり空回りしてしまって。^_^;
この、クリストファー・リーヴ主演スーパーマンものの三作目「スーパーマンIII/電子の要塞」。
<これからはコンピュータだっ!> 的な時代の勢いを感じさせる、また、後にも先にもこのタイミングでしか登場し得ないユニークな映画となっていました。
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アメリカを代表するスーパーヒーローを描いた超大作映画として、それに相応しい格調高さのあった第一作「スーパーマン」(1978年)。
それから、原作がアメコミということを改めて意識させられた第二作「スーパーマンⅡ 冒険篇」(1980年)と来て、この三作目では、従来とはかなり違った作風を打ち出して来ています。
今回、スーパーマンと敵対するのはロバート・ヴォーン。
過去の映画で悪役を務めて来た天才犯罪者や宇宙人らと違い、今回の相手は特別な能力など持たない一般人(!)の巨大悪徳実業家という設定です。
なんだか、三作目に来て突然スケールダウンしたかの感がありますけれど。w
でも、そこは名優ロバート・ヴォーン。 一筋縄ではゆかない個性的な悪役を演じています。
今作は(前二作と比べ)喜劇的要素を強化しようと図ったんでしょう。
コメディ担当としてリチャード・プライアーを起用。
そして、クラーク・ケントが高校時代に憧れた女性としてアネット・オトゥールという、これまでに無い布陣となっています。
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※ 正義の味方スーパーマンの「世を忍ぶ仮の姿」と言えば、ご存知デイリープラネット新聞社に勤務する記者クラーク・ケント。
ある日、彼は新聞社の特別企画で出身高校の同窓会を取材することになります。
クラーク・ケントの出身地はカンザス州の田舎町スモールヴィル。
高校と言っても米国のそれですからね、もうそりゃ進んでますよ。w
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)の、あの素敵なダンスパーティのシーンのような同窓会を開いて、大いに盛り上がる卒業生たち。(^ァ^)
高校時代のクラーク。 実はまったくイケてない学生でした。
地球人を遥かに超えるスーパー・パワーを持ちながら、しかしそれを隠し通さねばならないという、錯綜した(逆コンプレックスを抱えちゃいそうですね ^_^; )青春時代。
学校一の美女・アネット・オトゥールとは(憧れるばかりで)ついに好い仲となれず仕舞いの高校生活でした。orz
そのアネット・オトゥールは、高校卒業後すぐに(校内でモテモテだった男子生徒と)結婚するも、離婚して今は独り身。 未だ幼い独り息子を抱えたシングルマザーです。
アネット・オトゥール。 ご存知ロイス・レーン(スーパーマンのお相手)なんかとは対照的なタイプの女性でした。
すなわち、辛い運命に耐える女。 諸事控え目にふるまう薄倖の美女。
いわば、アメリカ版の木村多江です。w
女独り、幼子を抱えて苦労の耐えないところに現れたのが、高校卒業以来久々にまみえるクラーク・ケント(独身)というワケでした。
クラークは、アネット・オトゥールに対して(ロイス・レーンには無い)清楚な魅力を見出します。
一方、アネット・オトゥールだって、(前夫とではなしに)不器用であっても誠実なクラークと結ばれていたら・・・・的な「もしも」を考えてしまうわけですね。
まして、目下独り身のアネット・オトゥール。
経済的に困窮しており、なにより、わが息子には好き父親の存在が必要と考えています。
クラーク(クリストファー・リーヴ)とアネット・オトゥール。
高校時代、縁に恵まれなかった二人は、ここへ来て(運命的に、とでも言うのでしょうか)ひかれ合う磁石のように急速接近するのでした。w
そういうわけで、今回、正妻(違)ロイス・レーン(マーゴット・キダー)の活躍シーンはほとんどありません。w (前二作でヒロインのポジションを守ってきたマーゴット・キダーの立場は? ^_^; )
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映画のはじまり。 タイトルバックの部分をチカラ一杯コメディ側に(スーパーマン映画とも思えぬ w )振ったスタイル。
愉しくて小粋。 可笑しく、そしてお洒落でもある。
この演出には賛否あるんでしょうけれど、オレは大好きだなぁ、こういうの。(^ァ^)
アメコミ・スーパー・ヒーローものとも思えぬケッサクなOPでした。(笑)
悪徳実業家のロバート・ヴォーンは、天才IT技術者リチャード・プライアーにクリプトナイト(スーパーマン唯一の弱点)を合成させ、スーパーマンから「悪」を取り出し、具現化させてしまいます。
いわば、黒スーパーマン(?)の誕生です。
ヒーロー活動(?)を怠けて、非行に走り始めた黒スーパーマン(?)。 一体どうなる!
でも、その後に迎えるスーパーマン対黒スーパーマン(?)の一騎打ちシーンは(オレ的に)ちょっと退屈でしたね。^_^;
さて、いろいろあった後、終盤に至ってロバート・ヴォーンら悪人一味の根城に単身乗り込むスーパーマン。
ここでスーパーマンの闘いが、あの当時(未だ黎明期)のコンピューター・ゲームに対するパロディとして描かれているのが実にケッサクでした。w
あの当時のコンピューター・ゲームならではの、極めてラフな(今では考えられないレベルの)グラフィックとその動き。
ゲーマーじゃない私ですけれど(昔、愛用していた)8ビット・パソコンの画面みたいで、なんか懐かしかったです。w
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この映画、前半の同窓会シーンで高校時代は非モテ男子だったクラークと、元学園マドンナのアネット・オトゥールが急接近。 焼けぼっくいに火のつく辺りまでが特に面白かったですね。(^ァ^)
その後、正義の人スーパーマンから負の部分を抽出した黒スーパーマン(?)が出現してしまうくだりは、オレ的にイマイチってところでした。
クライマックスの戦いで、往年のコンピュータ・ゲームのグラフィックを真似た表現は、私はオモシロイと想ったけれど。 評価は分かれるかもしれませんね。^_^;
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大詰めに至って敵基地に踏み入り、ついに敵スーパー・コンピューター本体と対峙するスーパーマン。
これがまた、如何にも「コンピューターを知らない人が考えました」的な演出で、俺的にトホホな ^_^; 場面でした。orz
さて、スーパーマンの活躍によって潰えたロバート・ヴォーンの野望ですけれど、もしもこれが成就していたら・・・・その果てには(遠からず)勝手に暴走を始めたスーパー・コンピューターが、やがては主人(ロバート・ヴォーン)に成り代わって人類を支配する・・・・
そういったディストピアが待っていたんじゃないでしょうか? そんな薄気味悪さを感じさせられる終盤でした。
コンピューターの発達/普及が身の回りにまで及ぶ、その少し前。 80年代に撮られたこの作品。 今観ると、また一味違った面白さがありますね。
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